20240930

年下のミュージシャンと演奏することが増えて、一応は先輩と後輩という関係になるので、演奏について何か言ったほうがいいだろうか、という状況がしばしばある。

年齢が下がるほど音楽の見方の精度が上がる傾向にあるように思われるので、彼らの物差しを借りて自分の演奏を計り改善を図る、という上澄みだけさらっていくようなことをしており*1若干罪悪感を感じてはいる。多少は。

だいたい後輩といっても音楽のことになれば上下も何もなく、話をするといっても相談や提案というものが多い。が、事によっては自分の考え方を話す、あるいはアドバイスやレビューみたいなこと(えらそうでやだなぁ)をしたほうがいいんだろうなぁ…という場面にも出会ってしまう*2

言ってしまえば人のやってることにケチをつけることになるので、非常に言葉を選ぶ。自分がお世話になった先輩たちは雑な言い方をしていたような気がしていたけど、たぶんそれなりに考えて言ってくれていたことが今になってわかってきた(その言葉選びの是非はさておき)。

継続的に演奏の機会があるならともかく、一回や二回の共演の機会に物申すとなると、少ない機会と短い時間の間に言うべきことを詰め込まなければならない。一応音楽の捉え方に関する概論みたいなことを言っといたほうがいいかなぁでも迷惑かもしれないなぁうーーーーーん、と思いながらも、口は自動的に抽象的で核心に迫ることをぺらぺらぺらぺら喋ってしまうようにできているのが小美濃という人間である。

この一連のコミュニケーションを成功させるためには

a. 言ってることが(少なくともある視点から見て)有意である
b. 言葉選びが適切である
c. 相手にそれを理解する下地がある
d. 相手にそれを受け止める気がある

と前提条件が多く、正直に言ってしまえば失敗に終わることもある。

ほんとごめんそういうつもりじゃないけどそうなんです許して、と前置きして言うと、cが欠けているケースがある。それはこちらの見立ての問題でもあるのだけど、その話をするステージにまだいないなぁと気づくのは話をした後になってしまうのが難しい。

何かあれば言ってください、と聞いてくれる後輩は基本的にすぐ理解してくれるので話は早いのだけど、別に聞かれてないけどおれが何か言わないとアレかな…という状況ではcとdを満たしていない可能性が多分にあり、胃が痛い思いをする。んーーーーーーーーーーーー難しい!

今年も無事にシャインマスカットをむしゃむしゃ食べるありがたい機会をいただきました。演奏後のにマッサージしてもらって、自分で気づいてなかった足の疲れもとってもらい、茶房瑠チームにはほんとに頭上がりません…。

藍學舎のオーナーである笠原さんはご自身が染織家で、その仕事場をちょっと見せてもらった。藍學舎で見事な生地をたくさん見ていたので、それがここから生まれたのか、と感無量。ものをつくる人とその作品の両方に出会い、その佇まいと奥行きに触れられるのは旅芸人の楽しみでもある。

総じて東北は楽しいです。また来週は仙台へ。


*1 ベテランの人が若手とやりたがる理由が最近よくわかってきた。俗にいう「若いエキスを吸う」というのは気持ちの問題ではなく、むしろ実益上のメリットが大きい。

*2 それを期待して呼んでくれてる現場もある。たぶん。

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