20220913

好みと呪い

「こうあってほしい」という気持ちは、一定の強さまでは「好み」で片付けられるが、執着するレベルまでいくと「呪い」である。あってほしい姿にマッチしないものは受け入れられない。「こうあってほしい」の受け手にとっては迷惑極まりない押しつけで、それを言う本人は価値観を押しつけていることに無自覚である。

押しつけがましい価値観はどこから生まれるか。人生のどこかで価値観を獲得すると、それにマッチするものを良しとし、それ以外を低く評価する。この繰り返しが価値観を強化し、固着化させていくのだ。再生産されていく価値観は一方向へ強力に進んでいくので、逃れることが難しい「呪い」となる。

別にそんな仰々しい話ではなくて、単にドラマーの好みの話。アンサンブルにおけるドラムの役割について「常に違うレイヤーにいてほしい≒ほかの楽器がやってることにピッタリつけないでほしい」という好み(だったもの)が、自分の中の呪いになっている気がして。

昔はわからなかった「それぞれが違うレイヤーにいることで、異なるラインが共存して音楽が豊かになる」という考え方がいったんわかってしまうと、今度はそこから離れられなくなった。音楽の仕上がりのテイストによっては同じレイヤーにいるほうがいいこともあるかもなぁ…と思いつつ、でも一緒にやってて楽しくはなさそうだ、とも思う。

一方で、何でも受け入れられるようになると筋が通らなくなる。呪いは自覚しながらも、自分なりの判断基準は筋の通ったものを持っておきたいものだ。

呪い その2

絶望的にデスクワークが進まない。。ずっと頭のどこかに締切のあるタスクが張りついてる。ぜーーーんぶまとめて片付けてしまえればいいのに!これも呪いだ。そうだ呪いだ。

呪い その3

エレベでちょっとスラップとかやってみようかな、なんて色気を出し始めると当然コンプどうしようかという話になり、最近のコンプ事情をググりはじめてデスクワークが止まる。機材沼の呪いだ。

マルコン持ってるからそれ使えばいいんだけど、Fullertoneのジャズベがいい音すぎるので原音重視にしたく。empressかなぁ。

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